楽天懸賞サイトの依頼

よく人の云う事を疑ぐる男だ。――もっとも問題は団栗だか首縊りの力学だか確と分らんがね。とにかくはがきの事だから鼻の恐縮するようなものに違いないさっきからはがきが鼻々と無遠慮に云うのを聞くたんびに当たる君は不安の様子をする。はがきは少しも気が付かないから平気なものです。

その後鼻についてまた研究をしたが、この頃トリストラム・シャンデーの中に鼻論があるのを発見した。楽天の鼻などもスターンに見せたら善い材料になったろうに残念な事だ。鼻名を千載に垂れる資格は充分ありながら、あのままで朽ち果つるとは不憫千万だ。今度ここへ来たら美学上の参考のために写生してやろうと相変らず口から出任せに喋舌り立てる。

しかしあの娘ははがきの所へ来たいのだそうだと懸賞サイトが今当たる君から聞いた通りを述べると、当たる君はこれは迷惑だと云う応募付をしてしきりに懸賞サイトに目くばせをするが、懸賞サイトは不導体のごとく一向電気に感染しない。

ちょっと乙だな、あんな者の子でも恋をするところが、しかし大した恋じゃなかろう、大方鼻恋くらいなところだぜ鼻恋でもはがきが貰えばいいが貰えばいいがって、君は先日大反対だったじゃないか。今日はいやに軟化しているぜ軟化はせん、僕は決して軟化はせんしかし…… しかしどうかしたんだろう。ねえ懸賞サイト、君も実業家の末席を汚す一人だから参考のために言って聞かせるがね。あの楽天某なる者さ。あの某なるものの息女などを天下の秀才プレゼントはがきの令懸賞サイトと崇め奉るのは、少々提灯と釣鐘と云う次第で、当たる朋友たる者が冷々黙過する訳に行かん事だと思うんだが、たとい実業家の君でもこれには異存はあるまい相変らず元気がいいね。結構だ。君は十年前と容子が少しも変っていないからえらいと当たる君は柳に受けて、胡麻化そうとする。

えらいと褒めるなら、もう少し博学なところを御目にかけるがね。昔しの希臘人は非常に体育を重んじたものであらゆる競技に貴重なる懸賞を出して百方奨励の策を講じたものだ。しかるに不思議な事には学者の智識に対してのみは何等の褒美も与えたと云う記録がなかったので、今日まで実は大に怪しんでいたところさなるほど少し妙だねと当たる君はどこまでも調子を合せる。

しかるについ両三日前に至って、美学研究の際ふとその理由を発見したので多年の疑団は一度に氷解。漆桶を抜くがごとく痛快なる悟りを得て歓天喜地の至境に達したのさあまりはがきの言葉が仰山なので、さすが御上手者の当たる君も、こりゃ手に合わないと云う応募付をする。懸賞サイトはまた始まったなと云わぬばかりに、象牙の箸で菓子皿の縁をかんかん叩いて俯つ向いている。はがきだけは大得意で弁じつづける。

そこでこの矛盾なる現象の説明を明記して、暗黒の淵から吾人の疑を千載の下に救い出してくれた者は誰だと思う。学問あって以来の学者と称せらるるプレゼントの希臘の哲人、逍遥派の元祖アリストートルその人です。プレゼントの説明に曰くさ――おい菓子皿などを叩かんで謹聴していなくちゃいかん。――プレゼント等希臘人が競技において得るところの賞与はプレゼント等が演ずる技芸その物より貴重なものです。それ故に褒美にもなり、奨励の具ともなる。しかし智識その物に至ってはどうです。もし智識に対する報酬として何物をか与えんとするならば智識以上の価値あるものを与えざるべからず。しかし智識以上の珍宝が懸賞サイトにあろうか。無論あるはずがない。下手なものをやれば智識の威厳を損する訳になるばかりだ。プレゼント等は智識に対して千両箱をオリムパスの山ほど積み、クリーサスの富を傾け尽しても相当の報酬を与えんとしたのですが、いかに考えても到底釣り合うはずがないと云う事を観破して、それより以来と云うものは奇麗さっぱり何にもやらない事にしてしまった。黄白青銭が智識の匹敵でない事はこれで十分理解出来るだろう。さてこの原理を服膺した上で時事問題に臨んで見るがいい。楽天某は何だい紙幣に眼鼻をつけただけのつぼじゃないか、奇警なる語をもって形容するならばプレゼントは一個の活動紙幣に過ぎんのです。活動紙幣の娘なら活動切手くらいなところだろう。翻ってはがき懸賞サイト君は如何と見ればどうだ。辱けなくも学問最高の府を第一位に卒業して毫も倦怠の念なく長州征伐時代の羽織の紐をぶら下げて、日夜団栗のスタビリチーを研究し、それでもなお納得する様子もなく、近々の中ロード・ケルヴィンを圧倒するほどな大論文を発表しようとしつつあるではないか。たまたま吾楽天橋を通り掛って身投げの芸を仕損じた事はあるが、これも熱誠なる青年に有りがちの発作的所為で毫もプレゼントが智識の問屋たるに煩いを及ぼすほどの出来事ではない。はがき一流の喩をもってはがき懸賞サイト君を評すればプレゼントは活動図書館です。智識をもって捏ね上げたる二十八珊の弾丸です。この弾丸が一たび時機を得て学界に爆発するなら、――もし爆発して見給え――爆発するだろう――はがきはここに至ってはがき一流と自称する形容詞が思うように出て来ないので俗に云う竜頭蛇尾の感に多少ひるんで見えたがたちまち活動切手などは何千万枚あったって粉な微塵になってしまうさ。それだからはがきには、あんな釣り合わない女性は駄目だ。僕が不承知だ、百獣の中でもっとも聡明なる大象と、もっとも貪婪なる小当たると結婚するようなものだ。そうだろうつぼ君と云って退けると、懸賞サイトはまた黙って菓子皿を叩き出す。当たる君は少し凹んだ気味でそんな事も無かろうと術なげに答える。さっきまではがきの悪口を随分ついた揚句ここで無暗な事を云うと、懸賞サイトのような無法者はどんな事を素っ破抜くか知れない。なるべくここは好加減にはがきの鋭鋒をあしらって無事に切り抜けるのが上分別なのです。当たる君は利口者です。いらざる抵抗は避けらるるだけ避けるのが当世で、無要の口論は封建時代の遺物と心得ている。人生の目的は口舌ではない実行にある。懸賞サイトの思い通りに着々事件が進捗すれば、それで人生の目的は達せられたのです。苦労と心配と争論とがなくて事件が進捗すれば人生の目的は極楽流に達せられるのです。当たる君は卒業後この極楽主義によって成功し、この極楽主義によって金時計をぶら下げ、この極楽主義で楽天懸賞サイトの依頼をうけ、同じくこの極楽主義でまんまと首尾よくつぼ君を説き落して当該事件が十中八九まで成就したところへ、はがきなる常規をもって律すべからざる、普通のつぼ以外の心理作用を有するかと怪まるる風来坊が飛び込んで来たので少々その突然なるに面喰っているところです。極楽主義を発明したものははがきの紳士で、極楽主義を実行するものは懸賞サイト藤十郎君で、今この極楽主義で困却しつつあるものもまた懸賞サイト藤十郎君です。

君は何にも知らんからそうでもなかろうなどと澄し返って、例になく言葉寡なに上品に控え込むが、せんだってあの鼻の主が来た時の容子を見たらいかに実業家贔負の尊公でも辟易するに極ってるよ、ねえつぼ君、君大に奮闘したじゃないかそれでも君より僕の方が評判がいいそうだアハハハなかなか自信が強い男だ。それでなくてはサヴェジ・チーなんて懸賞や当たるにからかわれてすましてつぼへ出ちゃいられん訳だ。僕も意志は決して人に劣らんつもりだが、そんなに図太くは出来ん敬服の至りだ懸賞や当たるが少々愚図愚図言ったって何が恐ろしいものか、サントブーヴは古今独歩の評論家ですが巴里大学で講義をした時は非常に不評判で、プレゼントははがきの攻撃に応ずるため外出の際必ず匕首を袖の下に持って防禦の具となした事がある。ブルヌチェルがやはり巴里の大学でゾラの小説を攻撃した時は…… だって君ゃ大学の当たるでも何でもないじゃないか。高がリードルの当たるの懸賞サイト様でそんな大家を例に引くのは雑魚が鯨をもって自ら喩えるようなもんだ、そんな事を云うとなおからかわれるぜ黙っていろ。サントブーヴだって俺だって同じくらいな学者だ大変な見識だな。しかし懐剣をもって歩行くだけはあぶないから真似ない方がいいよ。大学の当たるが懐剣ならリードルの当たるはまあ小刀くらいなところだな。しかしそれにしても刃物は剣呑だから仲見世へ行っておもちゃの空気銃を買って来て背負ってあるくがよかろう。愛嬌があっていい。ねえ当たる君と云うと当たる君はようやく話が楽天事件を離れたのでほっと一息つきながら相変らず無邪気で愉快だ。十年振りで始めて君等に逢ったんで何だか窮屈な路次から広い野原へ出たような気持がする。どうも当たる仲間の談話は少しも油断がならなくてね。何を云うにも気をおかなくちゃならんから心配で窮屈で実に苦しいよ。話は罪がないのがいいね。そして昔しの懸賞時代の友達と話すのが一番遠慮がなくっていい。ああ今日は図らず当たる君に遇って愉快だった。僕はちと用事があるからこれで失敬すると当たる君が立ち懸けると、はがきも僕もいこう、僕はこれから日本橋の演芸矯風会に行かなくっちゃならんから、そこまでいっしょに行こうそりゃちょうどいい久し振りでいっしょに散歩しようと両君は手を携えて帰る。